大塚古墳

 病院の敷地内に「大塚古墳」があるのはご存じでしょうか。1辺30メートルの方墳(ほうふん)で上空から見ると、きれいな四角形になっています。

 この「大塚古墳」脇に東根市教育委員会で令和2年11月に案内看板を設置しました。

古墳上空から案内看板

 

1969年(S44)11月 当院の建築用地決定に伴う事前発掘調査を実施(山形大学考古学研究室を中心とする調査団)
・発掘調査の結果、山形県で初めて周溝(しゅうこう)を伴う方墳であることが確認された。
・1辺約30mの方形、高さ約4~5mの古墳と推測される。
・遺物が古墳の封土内から出土し、古墳時代の4世紀末から5世紀代の土器(土師器(はじき))であることからその頃の造営と推測された。
・当時おさめた棺や副葬品は未調査で、葺石(ふきいし)や埴輪(はにわ)はなかったと思われる。
・発掘当時は、山形での方墳の発掘事例はなくその系統は不明であったが、今は置賜盆地に多くの方墳が発見され、初期の墳墓形態と考えることができる。

1988年(S63) 
・病院増改築工事を行う際、古墳の周溝の一部はすでに東棟の建物の下になっていたが、東根市教育委員会より現状のまま保全するよう申し入れがあり、以後は工事など手を加えることなく大切に管理している。

2020年(R2)11月
・東根市教育委員会で案内看板設置

ヒポクラテスの木

・「ヒポクラテスの木」は正式名をプラタナス(和名:鈴懸(すずかけ)の木)といい、医学の祖であるヒポクラテス(BC460年頃~375年頃)がこの木の下で弟子たちに医学を教えたことに由来している。
・ヒポクラテスの故郷ギリシャのコス島には、その子孫の巨樹があり、医の道を伝えるものとしてヨーロッパで最も神聖な木と言われており、コス島原木から採取された苗や実などは(発芽させるなどして)、医療倫理の象徴として世界各地に植樹されている。
・日本への渡米1番目のヒポクラテスの木は、1956年(S31)に山形県の篠田秀男先生がギリシャを旅行した際、その実を分けてもらい育てたもので、篠田総合病院内に植樹したのが山形県内に持ち込まれた始まりとされる。
・1981年(S56)5月に篠田先生の特別のご好意で当院の20周年の記念植樹の木として、由緒あるヒポクラテスの木を譲り受けた。今では10メートルを超える高木となり、新緑の頃には白と緑の樹肌が美しい姿を見せている。

病院全景